歴史

2013年12月 1日 (日)

会津藩武家屋敷発掘調査説明会

六か月ぶりのブログ更新。

事情により今は会津若松市の住人である。

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半年前と変わったことといえば・・・・

通勤用にと自転車が一台増えた。(モールトンTSR-9)

お土地柄 幕末・戊辰戦争関連の史跡をたくさん回った。

けっこう本を読むようになった。

走りは旅自転車がメインになった。

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さっそく歴史関連の記事

会津若松城(鶴ヶ城)の北出丸から北に約300メートルの所に鶴城小学校がある。

現在は改築のためさら地になっているが、改築にともなう発掘調査を市教委がおこない

今回説明会を実施した。

参加者はおよそ50名ぐらいだったでしょうか。

お年寄りがもちろん多かったけれど幅広い年齢層が熱心に説明に聴き入っていた。

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ちなみに鶴城小学校はいくつかの会津藩士屋敷跡にできたわけであるが

紹介すると

1200石  小原内記(会津藩家老九家のうちのひとつ)

800石   日向弥志摩(青龍三番足軽隊 中隊頭) いわゆる国境守備隊

250石  竹村助兵衛  300石 石島田覚四郎  360石  原 早太  

230石 中沢常左衛門である。

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2013年3月 3日 (日)

久保姫講演会

昨日、今日(日曜日)とめっぽう風が強い。

天気が良く自転車で走りだしたい気もしたが、外の風音を聞きあきらめた。

午前中は歴史講演会の聴講、午後から自転車乗るぞと決めていたのに、根性なしだ。

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誘ったら嫁もついてきた。 珍しい。

歴史なんてあまり興味ありそうにないのにね。

参加者はおよそ150名、お年寄りが多かったが皆熱心に聴き入っていた。

講師はいわき地方の歴史に詳しい夏井 芳徳氏だ。

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戦国時代末期、当時のいわき地方の領主岩城氏には久保姫という絶世の美女が

生まれた。

成長すると伊達 晴宗に嫁いだ。

天文の乱というお家騒動、親戚でもある他家との戦争も幾多あり。

孫はあの伊達 政宗である。

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久保姫は当初白川氏に嫁ぐはずであったが、嫁入り行列が待ち伏せの伊達勢に襲われ

姫は略奪されて伊達家に嫁ぐことになったことを初めて知った。

この略奪がなければ南奥州の覇者 伊達 政宗はこの世に生まれなかっただろうし

葦名氏、二階堂氏との戦争、小田原参陣、秀吉の奥州仕置きはなかったか違った

ものになっていただろう。

ちなみに久保姫が生まれたお城は磐城平城ではなく飯野平城である。

一度あの本丸跡までの坂をロードバイクで上ってみたことがある。

勾配は15~16%ほどあったように感じるが、当時の山城としては普通の傾斜だった

のではないか。 

本丸跡は比較的状態が良く保存され、幕末には新政府軍の砲台としても使われたという。

数年前に行ったきりなのでまた今度上ってみたい。

2012年10月 2日 (火)

根岸官衙遺跡

少し前のことですが9月の終わりに久しぶりに歴史ポタリングやってきました。

いわき市にある「根岸官衙遺跡」。

一緒に走ったのはきもけんさん。

付き合っていただきありがとうございました。

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こんな風にまったり走る日はペガサスがピッタリ。

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この場所は奈良・平安時代の陸奥国磐城郡の郡役所跡です。

雑草が繁茂しているけれど海に近い小高い丘の上は確かに人工的な広がりを感じます。

顔を上げると遠くに貨物船が小さく見えます。

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飯野平城から磐城平城に移る中世から江戸期以前はここがいわき地方の中心

だったんですね。

目を閉じると役所の建物や行きかう役人、お坊さんの姿が浮かぶようです。

丁度オフロードバイクに乗った人が看板の文字をのぞきこんでいました。

詳細はこんな感じ

2012年2月10日 (金)

発掘調査報告会

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一月の初詣ツーリングの時に見かけたいわき市薄磯地区の見慣れぬ光景。

「いったい何だろうね、あれ」

「看板があるよ、えーと 発掘調査中だって。」

「なんの発掘かね」

「それにしてもずいぶん高いところに穴があるよね。」

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いまいち要領を得ないまま通過した遺跡でしたが、その「発掘説明会」が先週あったので

夫婦で参加してきました。

正式名称は‘餓鬼堂横穴群’。

なんだかカワイクナイ名前のお墓の集合体で、今から約1300年~1400年前のお墓です。

平成17年から発掘調査が継続してますが、鉄製の武具、馬具、工具、勾玉、ガラス製小玉

などが出土しました。

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2011年11月26日 (土)

「八重の桜」と八重の出稼ぎ

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福島民報 11月26日 記事

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平成25年NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公 新島 八重。

今から放送が待ち遠しくてなりませぬ。

戊辰戦争で鶴ヶ城に籠城し敗戦後、明治4年に兄の山本 覚馬を頼って京都に

向かう前の足跡をたどる手掛かりになるとして紹介されました。

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新島 襄と結婚する前に、会津藩士 川崎尚之助と結婚していたんですね。

しかも出稼ぎ生活・・・初めて知りました。

まだまだ謎が多い時代ですがいつも見守っていきたいと思います。

会津図書館所蔵「各府県出稼戸籍簿」より

2011年11月 7日 (月)

新滝旅館の跡地

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常磐湯本温泉 新滝旅館跡地

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古滝旅館(震災により休館中)の隣にあり旧浜街道沿いにあります。

戊辰戦争のおり、列藩同盟に合力し徳川家再興を願った脱藩大名「林 昌之助」や

遊撃隊隊長「人見 勝太郎」らが新政府軍との戦いに、疲れた体を休めた由緒ある場所です。

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硫黄の香豊かな温泉につかりながら昌之助や勝太郎たちは何を考えていたのか?

何を仲間たちと話し合っていたのか想像がふくらみます。

今まであった建物を解体して更地にしていますが、こうやって町の風景が少しずつ

変わっていくのですね。

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次は何ができるのか、はたまた何もできないのか。

一抹の寂しさを感じるのは私だけでしょうか。

2011年2月25日 (金)

「遊撃隊始末」読了

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遊撃という言葉は、現代では野球の遊撃手というポジション名に残ってるぐらいしか

知らない。戦闘に際し臨機応変に出没して敵を撃つという意味だが、幕末には遊撃という

名前を冠した隊はいくつかあったらしい。

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「真心のあるかなきかは屠り出す腹の血潮の色にこそあれ」

この句を詠んだのは昭和十六年に94歳でこの世を去った‘最後の大名’ 林 忠崇である。

自分の本心は切腹した時の血の色を見ればわかるという意味だろうと思う。

一万石の大名でありながら自ら脱藩し家来を引き連れ官軍と死闘を演じた人物だ。

下級武士が脱藩するのとはわけが違う。

この本の3人の主人公のうちの一人。

最前線で白刃を振りかざし、銃を撃つなどした大名はこの人物だけだろうと思う。

徳川将軍家を補佐し盾となるべき紀・尾・彦(紀州、尾張、彦根)が官軍に寝返り

徳川を倒す側に加わったのに対し、あくまで徳川に忠誠を誓う姿はこの藩(請西藩)の

成り立ちに関係している。

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2011年1月23日 (日)

「松川事件」新たな発見

「松川事件」といえば戦後の混乱期昭和24年におきた列車転覆脱線事故。

線路のレールがはずされ機関士ら3人が死亡した事件である。

下山事件と並び戦後の日本政治の闇。

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当時の労働運動の激化と赤化を恐れる政府やアメリカの影が背後にちらつくなど

謎が多い。

死刑判決が出た裁判の13年後に最高裁で全員無罪判決が出て現在に至っている。

何者が何をねらってやったのか、いまだに真犯人がわからない。

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1月23日付 福島民報

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2011年1月21日 (金)

小銃の性能差が敗因?

皇国日本が太平洋戦争で負けた原因のひとつは主力の小銃の性能差であると

リアルタイムが報じていた。

工業力といった国力の差もあったのだろうが。

ボルトアクションの三八式歩兵銃と敵国アメリカのM1ガーランド自動小銃。

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上が三八式、下がM1ガーランド自動小銃

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一発撃つごとに空薬莢を排出する三八式と自動的に排出してくれるガーランド銃は

ジャングルでの遭遇戦では圧倒的にガーランド銃に軍配があがる。

速射性能では勝負にならないと元日本兵が証言している。

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ここで思い出されるのは戊辰戦争のことだ。

旧式銃が主力の旧幕勢力と新式銃が主力の新政府勢力の戦いでは

銃の性能差は圧倒的な戦力の差となって現れた。

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過去にこんな貴重な経験があったのに、なぜ旧式装備のままでいたんだろう。

三八式は明治38年に正式採用されたが太平洋戦争開戦までいったい何年

経過してるのよ。

巨大戦艦など時代遅れの装備に莫大な国費を費やすより航空機や小銃にお金を

かけた方が良かったのにね。

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性能がいい小銃が装備されていれば助かった兵も多かったろう、歴史も

変わっていたかも知れないと、アメリカを撤退させたベトナム戦争を例に挙げて

記事は結んでいた。

2011年1月 4日 (火)

奥州街道をたどってみる

福島市からいわき市に車で移動することになりました。

いつもの幹線道路をただ帰るのではつまらないので、江戸時代の道・奥州街道を

通っていくことにします。

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当時より道幅は広くなりアスファルト舗装はされているけれど

通ってみたい、いにしえの道を。

今回は福島市松川町(八丁目宿)~二本松市(二本柳宿)~二本松市街(城下町)

と北から南へ走ることにしました。

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漆喰の剥がれ落ちた古い蔵  二本柳宿

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