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2011年6月 4日 (土)

アクアマリンふくしま 復旧途上

自宅から10kmちょっとのところにアクアマリンふくしまがある。

かなり大きな被害があったとメディアは伝えていたが、その後どうなっているのだろう。

朝から快晴。

クロモリマウンテンバイク ペガサスを引っ張り出し、シルカの空気入れをシュコシュコし

見に行くことにした。

クロモリは重いけれど乗り心地は最高。

段差を超えた時のショックの伝わり方がやさしいので好きだ。

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あ~ これはひどいなぁ  きれいだった桟橋が破壊されている。

美しかったタイルは波で剥がされてしまっていた。

遠くに見えるのがアクアマリン。

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接近してみたが、ここも地盤が沈下しタイルが剥がれている状態。

広葉樹は塩害のためすでに枯れてしまっている。

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施設を囲む木製のデッキはめくれてしまった。

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陥没、、、ここもやられた。

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左は巡視船 なつい。  

係留場所が遠くなったせいかクルーは自転車を利用しているようだ。

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打ち寄せる波の音が悲しい。

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アクアマリンをぐるっと一周してみた。

ひどい状況だけれど、港内を見渡すと埠頭に打ち上げられた船舶はなくなっていた。

少しずつ少しずつ進む復旧作業。

この日、アクアマリンの敷地内では工事関係者が大勢立ち働いていた。

懸命の工事はすすむ。

小名浜に来襲した津波年表を見たが、資料が残っているだけでも869年、1677年

1703年、1847年、1960年とけっこう来ていたんだな。

弘化四年(1847年)の津波では・・・・・

「前日の津波にて流死者の死骸が各浜に打ち上げられた。」

「小名浜の四か村をはじめ、各村とも流死した水主のために石地蔵を建て供養した。」

との記述が見て取れる。

今回の大震災と同じような状況が昔もあったのだな。

文明が進歩してもあまり変わらないのはなぜ?

この後、いわきの戊辰戦争古戦場(二ツ橋)に向かう。

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コメント

小名浜港の桟橋もこんな風に被害を受けているんですね。いわき・らら・ミュウも建物だけがかろうじて残った状態と聞きましたが、こうしてみるとアクアマリンふくしまは建物自体には損傷が無いようにもみえます。そういえばアクアマリンふくしまの側にはいつも巡視艇が停泊していましたよね。自然の猛威の前には人間が築いた文明なんて砂の城のようなものなのかもしれません。
再建には相当な時間が必要でしょうけれど、復活することもまた人間の営みの力強いところでもあります。“ピナ男さん”はじめ“ENDLESSのみなさん”のように“まげでらんに”精神ですよね。

kojiさん
巡視船なついは、同じ港内の少し離れた場所(アクアマリン側)に
係留されておりました。
遠目では建物自体に損傷がないように見えますが内部もひどいと聞いています。
大事に飼育されてきたお魚たちも死んでしまったり、他の水族館に移送されお世話になっているのもあります。
もともと忘れっぽいといわれている日本人ですが、こと地震・津波に関しては通用しないと実感しました。

やはり深い傷跡がありますね。
いわきから北へ、行ける所まで行ってみたい、自分の目で確かめたい。 と思いながらも、現実を目にするのが怖くて行けません。
子どもの頃に連れて行ってもらった四倉の海、中学生の頃、友人たちとキャンプした新舞子の砂浜、若かりし青年時代に彼女と行った勿来海岸、すべてが無くなったと聞いています。テレビでも見ました。哀しすぎる光景です。 小名浜もまた、、、

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