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2009年5月29日 (金)

神指城跡散策

5月24日、時空ヒルクライム観戦→大内宿を見て歴史づいた私たち夫婦は

会津盆地に戻ってNHK大河ドラマ「天地人」ゆかりの地“神指城”を

見に行きたくなりました。

・・・といっても殆ど私のわがままですが・・・。

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神指城二の丸土塁跡。

Imgp1906

「高瀬の大木」と呼ばれる大ケヤキ。国指定天然記念物、樹齢500年なので

築城当時にはここにあったことになる。

指揮をとった直江兼続や忙しく働く人足たちをじっと見つめていたのか。

完成していれば城域で鶴ケ城の2倍。

景勝が後年住んだ米沢城の3倍に達するという幻の城。

Img033

神指城を守る会 井上 昌威氏 作表     会津古城研究会 石田明夫氏 指導・監修

昭和22年当時の航空写真を見ると綺麗な“回”の字に城域は残っています。

その後、昭和40年代の農地整備のため当時の遺構はほとんど壊されてしまいました。

「頼むから残しといてくれよー」と思っても 当時は必要に迫られて水田を整備拡大

したのでしょうから仕方がないのですが。

しかし現在の米あまりの状況を考えればなんとも複雑です。

また石垣は後年鶴ケ城の増強に使用され土塁しか残っていません。

Imgp1907

農地整備の時に本丸跡から出土し保存されている石垣材。

Imgp1910

違う方向から写したもの。緑の柵は駐車場です。

付近はのどかな田園地帯。

徳川家康が上杉景勝に対して謀反のいいがかりをつけ

関ヶ原の戦いの導火線になった城跡としてはなんとも寂しげな風景。

当時、西の毛利、東の上杉として大坂の豊臣政権を支えるというのが

秀吉の戦略であったと聞いたことがあります。

豊臣の世が続いていればこの神指城周辺(会津120万石)が東日本の拠点

ということになったのでしょうか。

二の丸の南西の隅にある如来堂は戊辰戦争で新撰組(斉藤 一らの一隊)が

官軍と戦った場所で「新撰組殉難地」の碑が建っています。

斉藤 一(はじめ) といえば 数年前のNHK大河ドラマでオダギリジョーが演じてた

のは記憶に新しいところ。 

会津とはかなり縁が深かった人物のようです。

会津藩士の娘と結婚し、官軍に降伏後斗南(青森)で辛酸をなめた後に

警視庁に出仕し西南戦争に従軍、功績をあげたという波乱に満ちた人生。

その人物の墓が会津若松市内に残っています。

もう夕方に近い時刻になってしまいました。

R115を通り福島市に向けハンドルを切ります。

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福島市の自宅への帰り道 土湯の小峠を通過。 ここでも昔、会津軍と官軍の戦闘があった。

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県内 いたる所に戊辰戦争の痕跡が残っている。

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土湯峠からみた福島盆地 嗚呼絶景かな。時おり薄日がさす中 遠くに信夫山が見える。

本日のデータ(タニタの体組成計による測定は夕食前で統一)

体重:64.8Kg

体脂肪率:17.6%

筋肉量:50.6Kg

内臓脂肪レベル:9

基礎代謝量:1.456Kcal/日

体内年齢:29歳

走行距離:0Km(雨天のため走れず)

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コメント

歴史に疎く「天地人」を見ていないわたしは、若松城の2倍ともいわれる“神指城”構想の存在すら知りませんでした。いつもながら、“ピナ男さん”にはよい勉強をさせていただいたいます。
“YouTube”に神指城のCGがありました。

kojiさん
コメントありがとうございました。
You Tube早速見てみます。
どんな映像なのか楽しみですね。
今回は車でしたが自転車で今度は
回ってみたいと思います。
歴史ポタリングとしては会津は宝庫の
ような場所です。

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