« 子猫の死 | トップページ | 今日から春、3月 »

2009年2月28日 (土)

大森城跡ポタ

朝のうち気温は低かったものの、天気は上々。

風も弱くこれは自転車に乗るしかない。

昼食をすませ出かけることにしました。

場所はどこにしようか。

まだ一度も行ったことがない 「大森城跡」を目的地に決定。

大森城跡は、福島盆地の南端にあり桜の名所として地元では

親しまれている。

我が家からは約12Km、自転車では30分ほどの距離にある。

Dscn1276

Dscn1269Dscn1270_2

途中、鉄でできた道端のエイリアンプレデターにご挨拶。

何だか向かい風が吹いてきましたねー ペダルが重い。

Dscn1271

大森城への上り口。山城なので、ここからプチクライムが始まります。

Dscn1272

一気に上りましたがここからは未舗装、自転車を押します。

Dscn1274

本丸跡。 向こうの石碑は太平洋戦争戦没者慰霊碑です。

Dscn1275

Dscn1276_3

本丸跡から信夫山を望む。福島人の心のふるさと。

Dscn1281

梅がやっと咲き出し

Dscn1282

本丸跡のほぼ全景  親子づれが散歩してました。

なんていい天気でしょう。

ここで大森城の歴史を少し。

伊達家の内紛「天文の乱」 。

伊達氏14代稙宗と嫡男晴宗の家中を二分した争い。

この大森城は稙宗方の三男実元の居城。

乱の一因であった実元はこの地で生き残り、隠居後八丁目城に去ります。

実元の後は息子の成実が城主となり、大森城は会津領主の芦名氏を攻める

最前線基地となりました。

しかし、芦名氏を滅ぼした伊達政宗でしたが、秀吉の命令で北に去り

秀吉の忠臣蒲生氏郷の家来、大森城代木村吉清の時代に

杉妻(今の県庁がある場所)に本拠を移したわけです。

ちなみにこの頃、杉妻が福島と名前が変わります。

その後、大森城周辺は急速に廃れていき1664年に廃城となりました。

さあ、そろそろ帰るとしましょう。日が翳りはじめ段々と冷えてきました。

おっとその前に、堀跡の名残があるというので山の周囲を探します。

Dscn1287

あ、ありました。今でも残る堀の一部です。鯉がゆっくりと泳いでいます。

お堀の向こうは黒い板塀をまわした旧家風の民家があります。

門構えが立派でいい雰囲気です。

さあ、自宅に向かって走りはじめますよ。

でも、帰りも同じルートではつまりませんね。

そこで福島名物“伏拝の坂”を登って帰ることにしました。

福島盆地から抜け出すように南に伸びる国道4号線。

勾配は5%ですが、けっこう長いのですこの上り坂は。

いつも車でしか通ったことがないので、ぜひ自転車で登ってみたく

なりました。

Dscn1295

ママチャリが多いですが、途中で止まり自転車を押して歩く姿も見られます。

し、しかしロードバイクで同じことをやるわけにはいきません。

多少は意地も見せねばなりません。 (^-^;

結局、息は切れましたがダンシングなしで一気に登ることができました。

そんなので喜んでいても仕方がないのですが。

本日のデータ(タニタの体組成計による測定は夕食前で統一)

体重:65.5Kg

体脂肪率:19.0%

筋肉量:50.3Kg

内臓脂肪レベル:10

体内年齢:32歳

走行距離:30.44Km

« 子猫の死 | トップページ | 今日から春、3月 »

自転車」カテゴリの記事

コメント

大森城跡と恐竜の里はともかくとして、おニューのサドル“Selle Italia(セライタリア) SLR GEL FLOW サドル チームエディション ”でしょうか、きれいですね。穴あきサドルの決定版のようですが、いかがだったでしょうか。
きょうは職場の窓から外の青空を恨めしく眺めて過ごしました。

ハハーン kojiさん 最近、ご自分でも交換されたので、やはりサドルが気になるようですね。
サドルのインプレについては後でブログにて詳しく。
それにしてもkojiさん 今日は残念でした。
でも今度のお休みは晴れますよ、きっと。
ところで、帰宅後花粉症が出てしまいました。
花粉症で季節を知る。
なんて皮肉なことでしょうか。

大森城址公園は、桜の季節に高速道路を通ると、満開の桜が見事で、いいお花見の場所になっているようですね。城主も当時の人事異動で度々代わっているのですね。今で言えば部長クラスだったのでしょうか、昔も今も管理者には異動がつきものだったのですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 子猫の死 | トップページ | 今日から春、3月 »